田舎で底辺暮らし

孤独に生きながら雑多にあれこれ書いてます。

性の主体性を持たない日本のアイドルと、セクシーなパフォーマンスの矛盾

ビヨンセのパフォーマンスをYouTubeで見ながら、日本の女性アイドルについて考えていました。

昨日は℃-uteの秋ツアー「モンスター」の初日。
℃-uteのツアーの特徴は、ツアー毎に何か一つ新しいパフォーマンスにチャレンジをすることです。

LEDパネルの映像を使った高速場面転換をやってみたり、フラッグパフォーマンスだったり、アカペラだったりを大きな見せ場として、観に来てくれたファンにお披露目します。

前回のツアーでは「ポールダンス」でした。

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これが初日のポールダンスの映像。


℃-ute Crazy 完全な大人 Live 2014 - YouTube

衣装もセクシーポリスのような大胆さで露出がかなり多く(℃-uteはハロプロ内でも露出が一番高いグループだけど)、ポールダンスをやってる二人以外もセクシーな振付けのダンスです。

この他にも、椅子を使って大胆に踊るシーンもあり(ポールダンスより、こっちの方が余計に過激)それがファンの間では賛否両論となりました。

ファンが求めるアイドル像ではない、下品なのでやめてほしいという声が多かったのです。
しかし、メンバーが練習を重ね痣をつくりながら頑張ってチャレンジしていることをファンは知っているので、あまり大きな声で批難することも憚られ、微妙な気持ちで見守った人も少なくなかったと思います。

℃-uteメンバーたちは、ファンの反応を察して、今までより大人な自分たちを披露することで一つ成長できた、というようなことをちょくちょくコメントしています。

℃-uteといえば、ライブでのパフォーマンス力を大きな売りにしていて、持ち前のパフォーマンス力であればセクシー路線もカバーできるという運営スタッフの判断だったのかもしれません。

メンバーたちはマドンナなどの海外アーティストのDVD映像をスタッフに渡され、ああいう風にセクシーで格好良くキメたい!と意気込んでいた、とラジオなどで言っていましたが、日本のアイドルが参考にするには正直ちょっと的外れかもなぁ、と思いました。


というのも、マドンナやビヨンセ、ガガなど、海外アーティストのセクシーで大胆なパフォーマンスが魅力的なのは、単にパフォーマンススキルが高いからというだけではなく、人種問題、女性差別、セクシュアルマイノリティ、宗教観など、社会問題に対する彼女たちの政治的スタンスがパフォーマンスの背景にしっかりと見えるからだと思うのです。

ガガも仮装大賞のような恰好が話題になりますが、そこに政治的スタンスをはっきりと持っているから、単に面白い恰好というだけはなく、人を引きつけるものがあります。


これは先日のMTVのビヨンセのパフォーマンス。
11分過ぎくらいから、背後のスクリーンに文字が並び、最後に「FEMINIST」の文字が現れ、ビヨンセはその文字を背後に背負い、曲が始まります。
これがめちゃめちゃカッコイイ…。


Beyonce Vma 2014 Full Performance - YouTube


ビヨンセははっきりと自分はフェミニストであると称しています。

女性の地位向上のために女性が置かれている様々な現場の状況や意見をまとめて報告する『ザ・シュライヴァー・レポート』にエッセイを寄稿し、「わたしたちは、性差はもはやなくなり平等となったという神話に加担するのをやめなければならない」と呼びかけている。
ビヨンセ、性差別はなくなり平等になったという神話に加担してはいけないと語る (2014/01/14) | 洋楽 ニュース | RO69(アールオーロック) - ロッキング・オンの音楽情報サイト

ビヨンセは現在、仕事を持っている女性は同じような男性と比較して77パーセントの収入しか得ていないことを指摘し、真の平等実現のために男性も関わっていかなければならないと訴えている。

ちなみに日本は6割ほどでさらに悪い状況です。

「男の子たちには平等と敬意をしっかり教えなければなりません。いずれ大人になった時に性差のない平等性が自然な成り立ちだと思えるようにです。そして女の子たちには、人間の手に届くところまでなら、いくらでも高望みをしてもいいということを教えなければならないのです」

自らのことを「現代のフェミニスト」とも呼んでいるビヨンセは、これまでも同性婚や自警団員に丸腰の17歳の少年が射殺されたフロリダ州黒人少年銃殺事件、オバマ大統領の再選などについて積極的に発言してきている。

昨年の世界ツアーは「The Mrs. Carter Show」と銘打っています。
カーターとは夫のJAY Zの本名から。
自らをカーター夫人と名乗ることで、旧来的な婚姻関係を皮肉っているわけです。


こういう風にはっきりと打ち出している政治的スタンスや振る舞いは、彼女たちのパフォーマンスに大いに加味され、一層魅力的に見えます。

彼女たちの主体性がなければ、不可能なパフォーマンスです。

また、ファンもその政治的スタンスを理解しているので、双方にそれが単にセクシーなだけのパフォーマンスではなく、その背景にあるものがなんなのかを分かっているわけです。


一方、日本のアイドルはそれとは真逆。
性の主体性を持つことを許されません。
建前上とはいえ、まず異性との恋愛は禁止です。
政治的スタンスを打ち出すのは、タブーと言っていいでしょう。

もしアイドルが自分をフェミニストなどと言おうものなら、嘲笑とバッシングにさらされるのは容易に想像できます。

少し前、能年玲奈さんが映画業界は男性ばかりなので女性がもっと増えて欲しいというようなことをコメントしたら、女性活動家なんて言われて小馬鹿にされた記事がありました。
女優が当然のことを言っただけで、女性活動家なんて言われる国です。

そんな主体性を持てないどころか、社会問題を考えてもいないようにみえる(振舞っている)アイドルが、海外アーティストを真似てセクシーなパフォーマンスを処女性を求めるファンに見せたところで、それは本当に見たまま単にエロい踊りとしか受け止められない可能性が物凄く高いはずです。

表現する側も受け取る側も、なぜセクシーなものを表現するのか、というスタンスを理解していないし、共有していないわけですから。

セクシーなダンスを海外アーティストのようなカッコよさまで昇華させたいのなら、そこにはパフォーマンススキル云々だけではなく、彼女たちに性の主体性が存在しないと、まず無理ではないかなぁ、と思うのです。

でもそれって、熱烈なヲタ層相手に握手会やチェキ会を連発してCDの売上を伸ばすアイドルの処女性を売りにした「かわいい」路線とは、完全に真逆ですよね。

彼女たちが性の主体性を獲得すれば、はっきり言って今の人気の維持はむずかしいでしょう…。

性を主体化できない日本のアイドルに、セクシーさを表現してショーとして見せるというのは、完全に矛盾していると私には思えます。

結果、℃-uteが挑戦したポールダンスのセクシー路線は、ショーとしての完成度とかいうより、一つの成長過程としての困難な「ハードル」のような存在としてメンバーたちも語っちゃうしかないよなぁ、と。
彼女たちのパフォーマンススキル云々って話ではなく、アイドルという存在がセクシーとは相容れないのだから、どうしようもないんですよね。


そんなことを、昨日これを見ながら考えてしまいました。
ダンサーもバックバンドも全員女性で、しびれます…。


Beyonce Super Bowl 2013 Halftime Show, Full 15 Min 2013 HD 720P - YouTube


アイドルとしてカッコイイを目指すのなら、℃-uteはこういう路線で行ってほしいかも。

℃-ute 『ザ☆トレジャーボックス』LIVE - YouTube

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