田舎で底辺暮らし

孤独に生きながら雑多にあれこれ書いてます。

自殺願望としての戦争とイスラム国

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ノーベル賞に沸いている一方で、日本の大学生がイスラム過激派組織への参加を計画していたという奇妙なニュース。

イスラム過激派組織、「イスラム国」に参加するためにシリアに渡航しようとしたとして、警視庁は、外国に対して私的に戦闘行為をする目的で準備や陰謀をすることを禁じた、刑法の「私戦予備及び陰謀」の疑いで、大学生など複数の日本人から事情を聴くとともに関係先を捜索しました。
日本人がイスラム国に参加しようとした動きが明らかになるのは、初めてです。

昨晩のNHKのニュースでは、実際に1人で渡航しイスラム国の戦闘に参加したという日本人男性のインタビューを流していたけれど、特に政治的思想はなく、とにかく「戦いたかった」と連呼していた。
自分の能力でどこまで戦えるか試してみたかった、ということを答えていて、聞いてる印象だと、サバゲーの延長のような感じなのかな、と思った。

こういう人たちの出現を見ていると、どうしても日本社会の閉塞感は少なからず関係している気がする。
日本で微々たる給与で使い捨てされる人生なら、戦争地帯で命を賭して男のロマンとやらに挑戦して、生き残れば嫁も貰えるという未知の希望に飛び込みたいって感じなのかなぁ…。

この現象、日本だけでなく海外でも盛んになっている。

これって、一種の自殺願望の現れなのかね。

私が鬱々としながら、「金持ちなんてみんな爆発しろ」って、薄っすら願ってるようなものと根っこは同じなのかも。

イスラム過激派という特異な組織への好奇心と、若い世代の社会や人生への諦めが、うまい具合にマッチしちゃってるのかな。
社会への憎悪をどこかしらで発露したい人々が、戦争への参加で鬱憤晴らしをしたがっているような感じがする。

それにしても、人生に倦んで通り魔と化す犯人などもそうだけれど、なぜふんぞり返ってる政治家などは狙わず、無関係な人間をターゲットにするのかなぁ、といつも不思議である。
権威に楯突くのは、足が竦むんだろうか。

すっかり傾倒してしまった人たちを引き戻す言葉って、ちょっと思い浮かばないなぁ…。