先日、Twitterで「童貞女子」というワードが流れてきた。
私は、そのワードをみて、あ、私のことだな、と思ったんだよ。
それは、女で女を抱いたことがない奴。
要するに、レズビアンで喪女な女のことだな、と。
完全に私である。
童貞は性行為を経験していない男性を指す言葉なわけで、童貞で女子なら、普通にそう思うじゃん。
でも、Twitterに貼られていた説明画像を見てみたら、全然違ったのでびっくりした。
え、童貞ってワード全然関係ないやん…。
これによると、童貞女子とは、女子力がなく異性にはモテないが、中身が子供で趣味に生きていて、マイペースで日常生活が充実してる女性のことらしい。
ふーん…。
マイペースな処女とか喪女じゃダメだったのかね。
なんで童貞なんだろう。
処女ってワードは手垢がつきすぎている、ってのはまぁ理解できる。
私自身も、あんま使いたい言葉ではないな、と感じる。
でも、童貞ってワードだって十分手垢まみれだろうし、なんかこの童貞ならモテに拘らない自由奔放なやんちゃさを表現できるっしょ、みたいな、そういうノリがもやもやする。
自分が処女であることに全然こだわりがないのに、童貞っていうワードは使っちゃうんだ、っていう矛盾というか。
これは「そういや私、女子だった!」というWEB連載のエッセイ漫画で、「「モテ」のヒエラルキーに日夜さらされてお疲れの全女子に贈る」という謳い文句のわりに、内容はモテにめっちゃ拘ってるものが多い。
この漫画の第二回の連載にはラストで「女子ヒエラルキーの外で生きてます」、という童貞女子によるセリフがある。
女子ヒエラルキーってのが、よく分かんないけど、異性にモテる度合いを基本にしたヒエラルキーなのかな。
モテの土俵に乗らず、マイペースに生きてることは別にいいし、魅力的だと思うんだけど、「女子ヒエラルキー」をこういう使い方しちゃうのって、寧ろなんかすごいモテ気にしてるじゃん、意識してるじゃんって個人的には思ってしまうし、こういうモテの土俵内で競ってる人たちとは違うのよ、っていう自意識は全然モテから解放されていない気がする。
そもそも、自分の交友関係だと、そんなに恋愛やモテな話ばっかりしてる人殆どいなかったけど、そんなに話すもんかね?
他に話すことなんていくらでもあるけどな。
異性にはモテてないけど、私はすごく充実している、というのを表現するために、女子ヒエラルキーというもの利用して、自らを処女ではなく男性枠の童貞と称するのって、正直すごいもやもやする。
津村記久子の「君は永遠にそいつらより若い」という本の主人公は処女なのだが、彼女は自分が処女であることを「ポチョムキン」と表現している。
処女とは言われたくない、そこでこういう謎の言葉で処女であることを言い表している。
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そんなにモテの土俵外にいるのなら、安易に男性用の童貞なんて言葉を使わず、いっそ新しい言葉で表現してほしかったし、気にしてない割にモテ土俵にいる人への嘲りのようなものが薄っすら感じ取れて、そういうのからもっと離れた内容を個人的には読みたかった。
別に、本音ではモテたいって思ってて、モテないからそこに距離おいて折り合いつけて趣味を謳歌してるっていう、もうそれでいいじゃん、と思うんだけどね。
(ていうか、こういう作品であってもヘテロ主義なことに地味にダメージを受ける。どうせ、モテとは関係ないとかいいつつ、サブカル路線の男と結婚して猫飼ったりするんだろ、って思ってしまうのだ)
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