田舎で底辺暮らし

孤独に生きながら雑多にあれこれ書いてます。

祖母が熱心な創価学会の信者でした

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ツイッターでみかけたまとめ記事。
女の子につられて顕正会って宗教に入信したけど、ダルいという話。

日蓮系の宗教ということで、読んだ印象だと創価学会にそっくりだなぁ、と思った。
というのも、私の亡くなった祖母が熱心な創価学会信者だったから。

コメントを読むと、顕正会は創価学会より過激で、しかも創価学会とは険悪な関係だとか。


創価学会の折伏勧誘)の様子 - YouTube


色々勧誘とかされる人もいるだろうから、身内が創価学会に熱心だった子どもの立場として自分の体験を書いてみる。

排他的なルール

小さい頃、神社に入ってはいけない、となぜか祖母に厳しく言われたことがあって、特に鳥居をくぐるのは絶対だめだった。

私の家の近所には幼稚園を経営してるような大きな神社があって、そこはいつも子供たちの定番の遊び場だった。
近所の同い年の子たちは、みんなその幼稚園に行くのに、私だけは家から離れた幼稚園に通わされていた。
そのせいなのか、自分だけが近所の子達から浮いているようで、近所の子たちの輪から外れていたと思う。

でも、小さい頃からひねくれ気味だったので、祖母の目が届かないのをいいことに、私は言いつけなど気にせずよく神社で遊んでいた。

身内ぐるみで入信

祖母が熱心な創価学会員で、父もそれに倣っていた。というか、身内全員が入信していた。
父の兄弟などもみんな創価学会だった。

創価学会に限らないかもしれないけど、家族ぐるみで入信するのが基本みたいだ。
母の実家も、母が父と結婚する際に、創価学会に宗旨替えしたようだ。

勤行の苦痛

私が最も嫌だったのが、長時間、正座で題目を唱えること。
平日は忙しいので、私は三唱(南妙法蓮華経を三回唱える)だけで短くすませていたが、休日の朝と晩に30分くらい、南妙法蓮華経~から延々と続く長い勤行を行わなくてはならない。

これが苦痛で仕方なかった。

書いてあることの意味が全くわからないものを、ぶつぶつと何度も繰り返し唱える。

せっかくの休みで眠いのに、こんなことに時間を費やして、一体何の意味があるのか、どうしても分からなかった。
やりたくないけれど、やらないと怒られる。
勤行中は、とにかく早く終わることと、足の痺れをどう軽減するかばかりを考えていた。

家族というだけで苦痛ばかりの奇妙な行為に付き合わされるのが、たまらなく嫌だった。

あと、これって一種のトランス状態を引き起こしやすくする気がするんだけど、関係あるのかな。

機関紙は胡散臭いことだらけ

祖母は創価学会が発行する聖教新聞と機関紙らしきものを購読していて、いつも熱心に読んでいた。

祖母が読み聞かせる機関紙には、癌になって余命宣告されたけど必死に勤行をやったら癌が消滅した、みたいなエピソードが普通に書いてある。
子供ながらに、いくらなんでもそれはないだろw、と思っていたが、祖母も父も疑ってもいない様子だった。

金づるになった祖母

そのうち、祖母に認知症の症状が現れだして、物忘れがひどくなった。
自分が買ってきた果物を私が勝手に食べたと言って怒り出したり、身に覚えがない言いがかりで絡まれるので、次第に祖母と距離ができた。

そんな認知症で判断力が鈍ったところへつけこまれたのか、自分の意志でなのかよくわからないが、祖母はそれまで一部しかとっていなかった聖教新聞を三部もとるようになった
全く同じものを三部だ。

意味がわからない…。
父もそこそこ熱心な信者だからか、この件は放置されていた。

公明党への投票勧誘

私が高校生くらいになると、相変わらず創価学会に全然見向きもしないし、部活や学校生活が忙しいということもあって、気づけば勤行や座談会(会員の家に近所の信者が集まって何やら話し合う。小さい時よく祖母に連れて行かれた)への同行をを強制されることはなくなった。

私の態度から、全く興味がないことを親も察していたのだと思う。
(父の機嫌が悪いと、嫌味のように信心が足りないと言われたりした)

祖母が呆けて介護が大変だということもあってか、家族ぐるみの宗教熱はなんとなく冷めつつあった。


その時期に、ちょうど家を市街地寄りの場所に引っ越したが、選挙の時期になると、引越し先にまで呆けた祖母相手に知り合いの学会員が公明党への投票を呼びかけにやってきていた

でも、もうその頃は会話はなんとかできるけど、外出させられる状態じゃなくなっていたので投票には行ってなかった。
祖母の状態がどんどん悪化すると、その訪問もぱったりなくなった。

投票数の当てにならないので、見切りをつけられたのかな。

祖母の介護費の捻出が厳しくなり、誰も読まず積み重なるばかりだった聖教新聞も解約したのか、いつのまにか家からは消えていた。

脱会

父の兄である親戚家族がいつの間にか創価学会を辞めて、日蓮系の別の宗教に入っていた。
父もそれにつられたのか、創価学会を辞めて伯父と同じ所へ入った。

数年前、大晦日にそこの寺へ連れて行かれたのだが(この時、創価学会を辞めたことを報告された)、やはりみんなで声を揃えて南妙法蓮華経~と題目を唱えていた。
今月の目標らしきことを、坊さんが遠回りにやんわりと入信する人間を増やしましょうと言っていた。

やってること何も変わってないじゃん!

その寺の玄関付近には、「創価学会はカルト宗教なので、気をつけましょう」って張り紙があって、なんだかわけが分からなくなった。

どこに入信しようと、信者獲得のために大抵どこもこういうもんなのかね…。
ていうか、私は入信するって表明してないんだが、家族ってことで自動的にこの宗教の信者ということになってるんだろうか。

結局、祖母が亡くなった時は、創価学会をカルト扱いしているこのお寺に頼んで葬式をすることになった。

親の宗教に巻き込まれる子ども

小学生のときの同級生に一人、同じ学会員の子がいたが、その子は私と違って熱心な信者だった。
休日なるとたまに大きな創価学会の会館に連れて行かれて、偉い人の話を聞いたり、勤行するのだが、私はとりあえずやってるふりだけでやり過ごすのに、その子は非常に真面目に題目を唱えていて驚いた。

その子の家族と父は創価学会つながりで知り合いだったけど、なんというか絵に描いたような家族仲の良い円満な家庭だったイメージがある。

一方、私のうちは家庭不和な環境で、宗教による恩恵などは何一つ感じず、疑念ばかりがつのった。

それが、私の宗教への不信感を育てた感じもあるので、カルト宗教を信じこまずににすんだという点ではなんとも言えないが、円満な家庭だと子どもは親の言うことを丸っきり信じてしまいやすいかもなぁ、と思う。

親がカルト宗教にのめり込んでいると子どもは選択の自由もなく巻き込まれる危険があるので、もうちょっと憂慮すべきだと思う。

「カルト宗教」取材したらこうだった (宝島社新書)

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カルトの思い出  僕はカルト信者だった (ホビー書籍部)

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