田舎で底辺暮らし

孤独に生きながら雑多にあれこれ書いてます。

発言の責任逃れや保険として利用されるフェミニスト

昨日といい今日といい、あれな話題が続いているが、まぁ書きたいこと書きますので。


大森 そうなんです。やっぱりアイドルを作って動かしてる男の人っていうのがいるわけで。私、取材とかで「今は女子が元気ですよね」って言われたりすること多いんですけど、全然そんなことないと思う。すごいやだなって思います。だからアイドルが私のこと好きになったりするわけで。それはその歪みから来てる。


峯田 アイドルをやってる本人たちはすごく一生懸命だと思うんですけどね。でもそれをコントロールしてるのは男で。男の都合のいいように、どっかでなってるんだと思う。女性自身がもうちょっと楽しくなれる状況だといいなって思いますけどね。


──なるほど。


峯田 だから大森さんみたいな人ががんばって、「私でもやれるんだよ」ってところを中学生くらいの子に見せていってほしい。


大森 うん。でも田嶋陽子的なのはイヤですよ(笑)。ああいうのがやりたいわけじゃないです。女性が社会運動すればするほど女性が不自由になっていくんですよ。だからあれとっととやめてほしくて。だってもともと自由なんだから。社会と関係なく自由でいればいい。世界は楽しいじゃん、ってずっと思ってるんです。

あまりに頓珍漢な発言に、この人は炎上を狙ってわざと言ってるんだろうか、と思った。

女性の自由と、社会運動を切り離して語ることはまず不可能じゃね?

この人が今生きてる権利の中で自由だと思うのは勝手だけれど、その自由のための権利を地道に勝ち取ってきたこれまでの社会運動の恩恵にあずかりながら、社会運動を邪魔扱いして、こんな間抜けな発言をするって、恥ずかしすぎるでしょ…。

確かに田嶋さんについては、相容れない部分もあるが、彼女は理不尽なことには女性でもはっきり怒っていいのだ、権利を主張していいのだ、ということを体現しているという意味で私は勇気づけられている部分がある。

マスメディアでの田嶋さんの扱いをみて、田嶋陽子やフェミニズムなら貶めてもいいだろう、という風潮に大森氏が乗っかっちゃってることのみっともなさにがっくりきた。


大森氏については、薄っすら知ってはいた。
というのも、彼女がモーニング娘。の道重さゆみの大ファンだからだ。

私もハロプロが好きなので、芸能人(なのかよく分からないけど)のさゆヲタな女性がいるのか、ということで彼女の存在を知ったわけだ。

そして、マツコの番組や雑誌などで、大森氏は女性アイドルを消費する自分について熱く語っていることをネットで知ったのだが、この人の「好きになるのは男性なんですけど、興味があるのは女性」という発言になんというか地雷を感じた。

彼女がどんなセクシュアリティか知らないが、大森氏の好き勝手な発言や行為(過去女子トイレを覗いていたとか)に対して、女の立場で女性アイドルを欲望してもセーフみたいな、同性同士だからセクハラしてもノーカンみたいな、そういう保険材料としてのヘテロセクシュアルに聞こえてしまうのだ。

そんな「レズビアンではないですけど」みたいな前置きをいちいちつけず、はっきり自分の欲望として責任を持って語れよ、と。
レズビアンで女性アイドルを応援している身としては思った。

そんなわけで、私にとってはちと地雷人物だなぁ、と思ってはいた。

そして、今回のこの発言。

極端な例としてのフェミニストである田嶋陽子を用いて、自分の発言に保険をかける彼女の姿勢は、なんつーか、男性オタク界隈で男性を不快にさせない塩梅を心得て、おっさんたちに認められている女ヲタ的な立ち回りの上手さばかりを物凄く感じてしまう。

彼女自身の振る舞いや思想は自由だが、自分の保険のためにちゃっかり乗っかってる恩恵を勝ち取ってきた女性社会運動やマイノリティを都合よく利用すんなと、とりあえず言いたい。


苛ついたので、MTVでフェミニストの文字を背負ってパフォーマンスするビヨンセの画像貼っとく!

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女のからだ――フェミニズム以後 (岩波新書)

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