田舎で底辺暮らし

孤独に生きながら雑多にあれこれ書いてます。

実態よりイメージが最優先される社会はいつまで続くんだろう

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入れ墨について、こんなニュース。

橋下市長の入れ墨調査について、大阪地裁が違法判決を出した。
しかし橋下氏は控訴して最高裁まで持っていくらしい。


 安田さんは入れ墨がなかったが、「プライバシー権の侵害」を理由に回答を拒否。さらに、戒告処分を受けた後の同年10月に処分取り消しを求めて訴訟を起こした上、藤本昌信交通局長から直々に提訴の取り下げを要求されたが従わず、同年12月に運輸課での内勤を命じられた。

回答を拒否して提訴したら、提訴やめろって脅されて、バスの運転手だったのに内勤へ左遷させられたってことか…。
こういうのやっぱあるんだね。こわっ。


入れ墨っていうと、小さい頃にたまに連れて行かれていた健康ランドの入浴場にある入れ墨お断りの警告が、私の中で印象に残っている。
しかし、小さいながらになぜお断りなのか分からず、そして今も分かっていなくてググってみたらこんな記事が出てきた。

要するに、江戸時代などに見せしめとして入れ墨で罪人を判別し、その後入れ墨は非合法となるなど、日本では入れ墨=ネガティブという土壌が築かれた。
一方で、暴力団では帰属意識を高めるために、入れ墨が使われた。
そのため、一般家庭に風呂場がない時代からの銭湯や温泉施設などでの暴力団排除の入場制限が今もずっと残っている、ということらしい。

結局、入れ墨=暴力団=入浴ダメってことか。

でも、今じゃファッションとしてタトゥー入れてる人もいるだろうし(学生時代、二人ほど入れてる人がいた)、外国人なんてタトゥー入れてる人も多いわけで、線引が曖昧だよなぁ…。
とにかく入れ墨ならなんでも一緒くたにされてるみたいだし、入れ墨なくても悪人なんていくらでもいることを考えると、心情的に入れ墨入れてる人はちょっとアレな感じだから入ってほしくないっていうのが優先されてなんとなくずーっと残ってるようにも思える。
暴力団の追放運動は一般市民の安全のためにも必要だけど、今の時代に入れ墨だけではあまりに括りが大雑把すぎないかね。


私は元々の髪の色がかなり茶色くて、学生時代は嫌な思いをした。
地味に学校生活を過ごしていても、服装検査などのたびに染めていないのに染めているって注意されたり、シャンプーを薄めろなどと意味不明な指導をされたり、担任などからも染めてるのでは?と疑いの目でみられたりしてきた。
髪の色が茶色くて、染めてるか染めてないか、それで一体何を判断してるんだ、って話なわけで、ただ普通に生活しているだけで他人に何も迷惑をかけてない私に、いちいち「髪が茶色い」という本当にクソどうでもいいことで突っかかってくる大人たちの方が、ずっと迷惑で人間的に疑問じゃないか?

ちゃんと真面目に働いてても、入れ墨があるから云々っていうこういう排他的なやり方って、多様な人間が集まって社会を形成してる現状で、結局あやふやな根拠でイメージが悪いから以外に何を目的でやってるのか、よく分かんないよね…。

あと、真夏や真冬にみんな判で押したように時期に見合わない格好で働くのとかも、いい加減どうにかして、もっと見た目のことから解放されていいんじゃないかね、というか、いい加減そうなってほしいと思うんだけど、ただ心情的にネガティブだから、マナーだから、っていうのいつまで続くんだろう。

いくら世の中がお洒落に敏感になったとしても、こういうとこが変わっていかないと、なんかあんま意味ないような…。

そういえば、小さい頃、肌に貼り付けるタトゥーシールが微妙に流行ったりしたけど、今の子たちにもそういう流行あるのかしら。

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