田舎で底辺暮らし

孤独に生きながら雑多にあれこれ書いてます。

女の自己犠牲が愛情の指針になる人たち

夫婦別姓についての最高裁の判決について、通称でいいでしょ?というなんというか現政府の顔色を伺ったような判決が出て、残念な結果に。
ツイッターのTLはその話題で溢れている。
通称では事務手続きは頑なに拒否されるし、利用できないという体験談も多く読んだ。
裁判官の男女比で判断が決まったような部分も大いにあって、幾重にも絶望が深い。

人権的にアウトだと思っているのに、自分のパートナーにそれを強いてそれが嬉しいという感情は、本当によく分からないのだけれど、自己犠牲の大きさが愛情の指針になっているということなのだろうか。

女性たちはただ日常を生きているだけで、たびたびおっさんの接待を強いられる。
盆や正月に女だけがコマネズミのように働く光景の醜悪さはもちろん、エレベーターに乗ってれば「○階」とだけ言い捨てられてエレベーターガール扱いを受けたり、この前は、新幹線の席で知らない男がいきなり大阪についたら起こしてとだけ言ってイビキかいて寝たので、不快でそのまま放置して目的の駅で降りたというツイを読んだ。
この不幸な目にあった女性が男だったとしてもこの態度だったとはとても思えない。
彼らにとって女は自分たちの世話をするのが当然で、一段も二段も下の立場として認識している存在が自分に合わせるのはデフォルトであり、そこに何の疑問も抱かないのだと思う。
だから、そこで女が別姓という自己主張をすることが気に障るし、生意気に感じるのかな。
若い世代でも、「そうは言ってもなんだかんだ自己犠牲を払って尽くしてくれるのが愛情だし、いい女」みたいな、価値観が刷り込まれてるんだろうなぁ…これは男女問わず感じる。
判決の出た日に、地元テレビ局が街頭インタビューで若い女性たちの意見を流していて、彼女たちは夫婦同姓に賛成らしく、「旦那さんの名字を名乗るのが夫婦だよねー」って感じだった。

一方だけに強いられる不利益の先にある関係って、健全なものとは言えないだろうし、いつか必ず破綻がくる。
天皇芸の竹田某氏が、夫の姓で呼ばれて頬を赤らめるのが幸せな結婚だ、と凄まじいツイートをしていて、案の定、非難轟々で笑ってしまった。
愛情というぼんやりしたものだけで生活は成り立っていないし、実際は煩雑な事務手続きや差別でそんなものは霞んでしまうだろう。
だから、いろんな人が生きやすい選択肢を用意して生活しやすくするのが国がやるべきところじゃないのだろうか。

婚姻制度の問題なので、同性愛者の私には関係ないことと思えるが、圧倒的に女性にばかり強いられる不利益が可視化されてもそれが容認され続けているうえに、それを判断するのが男性ばかりの司法ってゾッとするし、結局女性ってだけで生きにくい社会になっているってことこ
は私も無関係ではいられないので批判の声をあげる。

私は自分の名字も名前もあまり気に入っていない。
成人したらどちらも好きに変更できるくらいの自由さが欲しいし、そうなればいろんな人が今より生きやすくなると思うからそういう未来がきてほしい。

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