田舎で底辺暮らし

孤独に生きながら雑多にあれこれ書いてます。

上げ膳据え膳、憎きお盆

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正月と並んで私が大嫌いな年中行事、お盆。
家族・親戚関係が良好な人には楽しいイベントかもしれないが、そうでない人間にとっては地獄だ。

普段、特に関わりのない親戚がうるさいガキをつれてきて、好き勝手に喋り、値段は高いが大して美味しくもない料理の盛り合わせを食べて帰るだけ。

男らは最初から最後までずっと座敷に座りっぱなしで、上げ膳据え膳。
女はその世話でひたすら忙しく動きまわらねばならない。旅館の女中かよ。

今年、同居していた父方の祖母が老衰で死んだが、アルツハイマーで呆けてしまい、意思の疎通ができず、徘徊癖があり、数年続いた介護生活は思い出したくない悪夢であった。
介護は本当に病む。
身内なんだから、心をこめて介護すれば相手に伝わる、なんて甘い言葉は、介護の地獄を知らないか、その人の介護がたまたま思い通りになるラッキーなケースというだけにすぎない。
実際は、肉体的にも精神的にも凄まじい重労働だ。
しかも、快癒することはなく、本人が死ぬまで終わりがない。
永遠に続く地獄のようだ。

金があれば老人ホームに預けることができるが、金のない一般家庭ではまず無理で、うちがそうだった。
それに今じゃどこも満室で空きもない。
週に1,2度ヘルパーを呼んだり、デイサービスを利用するのが精一杯。

比較的近くに住んでいる父方の兄夫婦をはじめとする親戚たちは、祖母の面倒は一切見なかった。
盆正月以外は、たまーにふらっとやってきて30分ほど祖母の相手を気ままにして帰るだけ。

当の父も祖母の面倒など全然みなかった。
日々の食事の世話やらは、私と母に全部丸投げされていた。

それで、死んだら今まで何もしなかった親戚たちがぞろぞろ集まって、涙を流しておいおい泣いているのだ。
あまりに馬鹿馬鹿しくて、私は大いに白けた。
祖母が死ぬまで日々面倒みていた私や母に感謝の言葉など誰一人向けることはなく、今まで素知らぬ振りをしていた祖母の遺体に泣いて縋っている。
介護をしていた身からすれば、やっと解放された、というのが本音だ。

呆けた老人は絵に描いたように大人しく寝て、介護者の言うことを聞くわけではない。
気に入らないことがあれば癇癪を起こして暴力的になるし、トイレを使えばそこら中尿まみれにし、オムツをはかせればこちらで取替え無くてはならない。
食事は歯がなくても食べやすいものを用意し、差し出しても床中に食べ散らかす。
まだ体は動けるので、歩きまわって家から勝手に出ることもあった。
引きずって家の中へ戻したことは一度や二度ではない。
子どものように体が小さければいいが、こちらの言うことを聞かない大人の体を一人で運ぶのは想像以上に困難なことだ。
家の外に出て卒中を起こし、救急車で運ばれ一週間ほど入院したこともある。

そんな苦労を全部こちらに丸投げしておいて、上げ膳据え膳で世話されて故人の思い出に浸るとはいいご身分だなぁ。

煩わしいので、盆と正月は家から出ている。
やりたい人間だけがやればいい。

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