このブログもそうだけど、私は結構自分で書いたものを自分で読み返すのが好きで、それは自分の文章の素晴らしさを味わうというナルシシズムが一ミリもないとはいわないけど、それよりなんというか、そこそこ長い文章をきちんと書いて、画像なんかも入れてそれらしく自分で作り上げた記事を何度も反芻したくなるのだ(そして誤字脱字を発見し、慌てて修正する)。
というのも、私は学生時代は作文が大嫌いで、特に読書感想文が全然書けなかった。
80%はあらすじで埋まっているようなものばかりを、いつも提出していた。
読書感想文を書く羽目になるのは、大抵夏休みの宿題。
いつも宿題は最後の方に慌ててやる私にとって、本を読む時間を取られ、つまらない以外に何も思い浮かばないのに自分の言葉として文章をアウトプットしなければならない読書感想文は、最も腹立たしい課題であった。
まず、小さい頃は本を読むのが嫌いだった。
小学生の頃などは、本は漫画以外ほとんど読まなかったし、感想文を書くために読まなければならないと思うと、さらに読書が苦痛になった。
あの時はまだ本の何が楽しいのか、さっぱり分からなかった。
自分の好みさえ分からないから、感想文向けのコーナーにあるような本を適当に見繕うのだが、これがまたとてもつまらない…。
つまらないので、何の感想も出てこない。
今思えば、何がどうつまらなかったのか書いとけば原稿用紙2,3枚くらいすぐ埋まったと思うんだけど、そんな反抗的な態度をとるという考えすら浮かばなかった。
とにかく、読書感想文というのは「いい子ちゃん」でいなければいけない、と思い込んでいた。
そもそも、感想文の書き方がよく分からなかった。
どの教師も絶対に言うのが、「あらすじを書くな」。
けれど、あらすじを書かずに、どうやって私の作文に目を通す人間に話を説明するのか?という疑問が、具体的に解決されことはなかった。
次に、自分の体験談をまじえなさい、というのも私は出来なかった。
読書感想文に書けるような都合のいいエピソードなど持ち合わせていなかったし、そういうものを色々と体験している優等生たちの豊かな家庭環境との落差は、そのまま読書感想文を上手く書けるか書けないかに反映されているように感じた。
今思えば、適当な嘘で良かったのだろうけど、子どもが書く読書感想文で教師受けのいい嘘を綴るっていうのも、随分小賢しいというか…。
本を読むのが好きになったのは高校生頃。
なぜか、私はホラー小説にドはまりして、角川ホラー文庫をあれこれ読んだ(吉村達也の作品をよく読んでいた)。
それでもやっぱり読書感想文は大嫌いで、相変わらず書き方もよく分からなかった。
それなのに、今は自ら読書メーターにせっせと感想を書いては、読んだものを管理している。
どうして昔書けなかったものが、今は苦もなく書けるんだろう。
多分、誰の目も気にせず、書きたいことを好き勝手に書けるから。
良い本ならば褒めちぎりたいし、つまらない本ならば思いっきりこき下ろしたい。
決められた原稿用紙の枚数、好みじゃない課題図書、目を通す教師への媚び、そんな制約を気にせず感想を書くと、あれだけ苦しめられた「あらすじ」は自然と消えているから不思議だ。
見栄えのする作文にするためには、文章を書く上でのテクニックなどは色々あると思うけれど、とりあえずは不満であっても書きたいことを書く、というのが大事なのかもしれない。
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