TwitterのRTで回ってきたので読んでみたこの記事。
「スクールセクハラ なぜ教師のわいせつ犯罪は繰り返されるのか」という学内の性被害の実像に迫ったドキュメント本を元に、学校というのはセクハラや性犯罪を招きやすい環境で、しかも教師と生徒という権力関係が存在し、進学がかかっているなど弱みを握られていると被害者が泣き寝入りするしかない、ということを指摘している。
セクハラというのは往々にして、権力関係の中でおこるもので、客と店員、上司と部下など、被害者が嫌だという声を発しにくい状況を巧みに利用している。
教師と生徒というのも、そのうちの一つなのだろう。
小中高と学生時代を振り返ると、どう考えてもこいつアウトだろっていう教師は必ず一人はいて、なんでそんな教師が放置されてたのか、改めて思い返してみても本当に不思議だ。
小学校のとき、友達と廊下を歩いていたら、中年男性の担任に、君たちは女性器をなんと呼ぶのか、と妙なことを訊かれたことがある。
男性器と違って、女性器は地方ごとに呼び方が色々とあるわけだが、恥ずかしがって口を噤むと、恥ずかしがることではない、などと言ってしつこく尋ねてきた。
あれは何の意味があったのかよく分からないし、あんなことを小学3、4年の私達に聞くってやっぱちょっと常軌を逸していると思う。
この教師は怒ると怒鳴り散らすし、忘れ物などすれば必ず頭を叩かれるので、怖くてかなり苦手な教師だったが、そういう立場を利用してたのでは、と今になって思う。
高校のときにいた50代くらいの熊みたいな体育教師は、体育の時間になると必ずお気に入りの女子生徒をそばに呼んで、体育の時間中ずっと喋っていた。
呼ばれる子は、大体は可愛くて学校内でもヒエラルキーの高い感じの子ばかりで、かったるい運動をやるよりおっさんの話し相手でもしてた方がまぁ楽だし、って感じで渋々相手してた。
体育担当の教師の中では一番の古参のようで、他は若い教師だったこともあって、なんだかやりたい放題だったが、ああいうのって教師間でも「あいつヤバイなぁ…」と思いながら放置してたりするんだろうか。
ていうか、あんなあからさまな行為をヤバくないと思ってるなら、それもそれでかなり危ないが。
外部からみたら異常なことでも、学校生活の日常になってしまうと、なんかそれが当たり前というか、おかしいことをおかしいって気づけなかったりする。
セクハラじゃなくても、ひどい体罰とか、部活の顧問が自分の私用で生徒や保護者を思いっきりこき使ってたり(その部活方面で顔が聞くので保護者も子供の内申書のために誰も文句を言わずに手伝う)、っていうのを目にしてきた。
ああいうのって、当時も疑問だったけど、今思うとやっぱかなり異常に思える。
でも、何事も無くそのまま放置されてるって、あれは周囲の教師が見てみぬ振りしてたわけだよなぁ…。
他にも教育実習で母校に行ったら、セクハラされたなんてよく聞くし、私の友人も実際それでうんざりしていた。
以前読んだこの自伝マンガの著者さんも、学校教師にひどい目に合わされてて、学校という環境の問題性を感じた。
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学校っていう閉鎖空間で、内部に自浄作用がなく問題がどんどん放置されると、立場の弱い子供たちが被害者になるわけで、この閉鎖性ってもうちょっと問題視されるべきなんじゃないかな、と思う。